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Shigelog

41歳でドラムを始めた勘違いオヤジの日記です。気が向けばアフィリエイト向けの記事も書きます。

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shigeの愛車遍歴....②

シリーズにてお伝えしております第2弾でございます愛車遍歴の②です。

 

前回記事はこちらです。

 

shigeru0214another.hatenablog.com

 

 

人生で2台目となるクルマを購入

今から遡ること15年前の話です。私が27歳のときですね(そんな時代もあったのか..)。

S13を所有する事7年。相変わらずパワー不足のCA18エンジンでしたが、前回記事の通り、自分なりに楽しんで乗ってました。

 

しかし、たまに一緒に峠に通っていた後輩が突然 「東京に就職する事にしました!」と。 あまりにも突然の話でしたのでびっくりだったのですが、それもその人の人生です。「頑張れよ!!」と後押しして東京就職を応援する立場になりました。

 

その後輩は、自分も羨むPS13(日産シルビア)のK'sでバリバリのドリフト仕様でした。

内装は無しで7点のロールバーと直管マフラー仕様の非合法仕様です。

実はそのクルマ、その後輩が「自分も走り屋になりたい!」との事で、私の知り合いの中古車屋さんでオークションで探してもらったクルマだったのでした。

契約から保険の加入等々世話してあげたので、その後輩曰く「東京にはクルマをもっていけないからクルマを処分したい!shgieさん、これ買ってくれませんか!!」との事。私もターボこそあこがれを抱いてはいたものの、今乗っているシルビア(以下S13)のNAで充分に走り屋ライフを送っていたので、正直かなり迷いました。迷ったのには理由があります。

 

そのクルマ、かなりのボロだったのです。内装は無いし、フルバケは付いていてもボロボロ、外装もフルノーマルだったので、

「これは譲り受けたとしても金掛かるなぁ~」  と。

 

後輩はどうしても私に乗って欲しかったらしく「¥15,000」でいいですから買って下さい!!と。 

「えっ!ホントに¥15,000でいいの??」

とその金額に飛びつきました。

 

当時は普通の程度のS13でも、まだ売値で70~80万はしてました。

 

いや、ボロであっても100万で買ったつもりで残りの98.5万をボロを直す金に回せば同じことか?!と決断し、購入を決定しました。

 

私が乗っていたS13は、結局別の後輩に20万で譲り、その売った20万を元手に新PS13のチューニングが始まります。

それと同時に、峠を攻めるのは一旦お休みして、港に出没するようになりドリフトに転向することにしました。

しかし、ショック(サスペンション)は抜けかけていてオイル漏れは酷いし、直管マフラーはどこのショップがワンオフで作ったのか自作のステーで止めていて、そのステーが折れ掛かっており、路面のギャップを跨ぐとマフラーが路面に干渉する始末。

 

「このまま走っててはクルマを壊すな」....と。

 

で、名義変更などなど未だ手付かずだったので、取りあえず保険の更新だけ手早く済ませて名義変更の手続きをする事に。

元オーナーの後輩は東京に行ってしまっていたので、名義変更から何から書類を全て送ってもらい陸運に通って自分が手続きしたのですが、その後重大な事実が判明しました。

 

何と!その後輩、クルマを所持していた2年間、一度も自動車税を払っていなかったのです。2年分+譲り受けた年度分ですから、¥39,500×3で¥118,500+滞納金です。

 

¥15,000の破格でクルマを譲ったのはこれが原因かな?と思ったのですが、しかし税金も払わないでとんずらされてしまっても私も困ります。クルマを売る際に一言添えてもらえれば、もしかしたら私もそのつもりで購入したのですが、こればかりは売り逃げに近いと思い我慢できませんでした。

何と言っても税金も払わずに人にクルマを売りつけるというその根性が許せませんでした。クルマのオーナーとしての資格も無ければ、 ”税金を払わない=脱税” ですから、そもそも国民としてどうなの?と。彼は、クルマに愛情を注ぐタイプではありませんでした。現に、そのクルマを所持してから自分でイジって部品を交換した事、もしくはショップに持ち込んで新たなパーツを取り付けた形跡もありません。そう言えば、その後輩が洗車場などで洗車している姿もあまり見たことも無かったな....。

  

その後輩に連絡して、「せめてお前が所持していた年度分の¥79,000だけは払ってくれ、これはクルマを所持するものの義務だ!!」という事を伝え、振り込みしてもらって全額収めました。

 

それから本格的にチューンに入るのですが、あまりにも膨大にお金を掛けないとまともに走らない状態だったので、100万のローンを組んで1からクルマを作っていく事に。

 

ショップに依頼しなければならない場所と、日産のディーラーにお世話にならなければならない場所を分けました。結局ディーラーで見てもらわなければならない箇所は第1話登場の ”Oくん" のお世話になる事になりました。

 

”Oくん”の判断は的確で、「ここまではやっておいたほうがいい!」という場所の見積をすぐに出してくれて、こちらの意思決定の手助けまでしてくれます。

もう”Oくん”とは腐れ縁状態で20年経った今でも付き合いがあります。

 

「しかし、よくこんなクルマで峠走ってたなぁ~、足も抜けてるし....。車高調から組み直さなければ普通に走るのも厳しいな~」と。

 

まともなのはエンジンと補機類くらい。エンジンルーム内は比較的綺麗でした。

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結局、TEINの車高調を新調。ついでにピロアッパーマウント、テンションロッド、リアトー調整ロッド、リヤタワーバー、ロアアーム、スタビ、NISMO機械式LSD、強化クラッチ等々、足回りを一新する事に。ステンタコ足とマフラーも合法のものに交換。同時に解体屋を廻って、同じS13の内装を探して内装もきっちり取り付けました。

 

ついでに、TRUSTのインタークーラー、ブーストコントローラーにProfec-e01、S14タービン交換、R32GT-R用燃料ポンプでブースト1.4kg仕様にしてフロント18インチ、リア17インチでアルミとタイヤも新品に。4輪アライメントを取ってもらい、馬力計測こそ行わなかったものの、推定で240ps仕様のPS13仕様になりました。

 

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何しろスマホが普及する前の話なので、残っている画像は当時のガラケーで撮ったこの写真が一枚だけ。その他の画像は津波で流されてしまい残念ながら残ってませんでした....。

 

で、結果的にフルエアロまで組んで、費やした金額は200万オーバーでした。

今考えたら、ただのアホですね......。

きっと、クルマに興味のない特に女性陣の皆様に見られますと、なんて勿体無い!!と避難される事間違いありませんが、これも独身貴族時代の貴重な経験だったと思っております。でも、男って、ホントにアホです。(すみません、全ての男性を敵に回してしまいました....自分がアホなだけです)。私は浪費家です....。

 

独身時代にこんな事をしていたので、新婚当時は極貧生活で嫁にも迷惑をかけてしまいました。よくぞここまで付いてきてくれたなぁ~と!!。

 

しかし、フルエアロを組んでしまうと、事故った時の代償があまりにも大きいし、年齢も年齢だったので、次第に私は危険な場所での走りを辞めるようになりました。

 

そして、そのエアロを組んだせいで市内ではもっぱら有名なクルマになりました。

 

「~峠で走ってるのを見たことがない走り屋~」 と.....。

 

年齢も30代に差し掛かり、このクルマで通勤していた会社でもそれなりの役職を抱えるようになっていたので、社長から一言。

 

「そろそろクルマも心身も共に落ち着いたらどうだ!?」

 

走り屋引退の時期に差し掛かってきたかな?とは薄々意識はしてました。 

 

繰り返しますが、今から15年前のお話でした。

 

次回に続きます。