shigeの愛車遍歴....①
なんか、最近ブログを1回限りの完結記事ではなくて、無理やり連載しようとタイトルに続き番号をつけ始めたshigeです。
まえがき
前回の記事、”Youtubeに”ドラム叩いてみた”をUPするための道のり....①”ですが、本当は次々にUPして連載しようと試みていたものの、オーディオインターフェイスなる機材を選んで購入しなければならないのですが、素人にはどれを選んだらいいのかさっぱり理解不能なので、現在あちこちの電子ドラムの記事を掲載しているブログやサイトを渡り歩き勉強中なのです。というか、かなり行き詰まってます......笑。
前回記事こちら
shigeru0214another.hatenablog.com
願わくば、ご近所もしくは市内に同じことをしている方が居て、お話する機会や実際に機材を見せて貰ったりと交流や情報交換が出来れば最高なのですが、なかなかこれば難しいでしょう。実際に、楽器屋さんもありません.....。
現在模索中につき、進展があり次第また記事にしていきます。
shigeの愛車遍歴
という訳で、今回から車ネタに移りたいと思います....。
(すごいギャップだな...)。
実は私、大のクルマ好きでして。
わざわざ趣味ブログをたちあげたのに、その割にクルマ関係の記事が少ないのには確固たる理由があるのです。
まず、現在は41歳。
高校卒業時は専門学校への進学が決まっていたので、在学中の自動車免許取得が認められて居らず、卒業まで教習所はお預けでした。同級生が羨ましかったですね。そして卒業してから3週間で地元を離れなければならなかったので、取りあえず学科30時間と2段階くらいまでを全て終わらせて、免許センターで原チャリの免許だけ取得して進学先の街に移動しました(通学で原チャリを使用するため)。
夏休みに地元に戻り、今度は教習車に乗って仮免から卒検までを1週間でこなし、何とか免許取得となりました。
普通ならば、免許を取ったら直ぐにクルマが欲しくなるもの。うちの親は超厳しくて、在学中のクルマの所持は一切認めない!!と。親と電話でしょっちゅう喧嘩してました。
まぁ、今思えば親の判断は正しかったのでしょう。クルマの所持にこれだけお金が掛かるなんて実際に持ってみないと分からないものです。
そして、専門学校卒業後、働き始めてから何とか人生初のクルマを所有する喜びにひたることができました。
実は、高校は工業高校だったので、クラスメイトもそれなりにクルマ好きが集まるわけです。そんな中で、一人の同級生と出会います。
”Oくん”です。彼は、高校生ながらクルマの事で分からない事は無いと言うくらいのクルマオタク。いわゆる歩くクルマ専門ウィキペディアです。
Oくんと私の二人の目標は、将来走り屋になることでした。
高校生ながら、週末の深夜に自転車で1時間掛けて地元の峠を走る走り屋さん達を見に行ってました。今思えば、よく深夜徘徊で捕まらなかったなぁ~と。これを高校3年間続けました....笑。
そして、Oくんは地元企業の日産のディーラーに就職が決まります。私は専門学校へ進学。離れ離れになりましたが、その後も付き合いは続きます。
彼は就職して直ぐにクルマを買いました。
日産の180SX (車両型式RPS13)
私は、記事の通り在学2年間はクルマを持てませんでしたので、それはもう彼が羨ましくで仕方がありませんでした。
因みに、在学中は半年で原チャリに飽きてしまい、バイクの中型免許を所得してHONDAのCBR250R(88)を中古で買って、バイクで走り屋をやってました。
クルマが乗れない腹癒せに、専門学校の友だちが作っていたバイクの走り屋のチームに入れてもらい、皮のツナギを買って峠を走って膝擦りしてました.....笑。
なので、オレンジさんの現在執筆している記事が楽しくて、毎回楽しみに読ませてもらってます。
それから2年。私もいよいよ専門学校卒業となりました。
親からも晴れてクルマの所持が認められ、最初に買ったのがこちら。
日産 S13シルビア Q’s ダイヤセレクション
たまたま知り合いの中古車屋さんにあった程度のよいクルマをそのまま購入しましたので、色やグレードはもうどうでも良かったですね。
夢にまで見たターボは暫くの間お預けです。
因みに色はダークグリーンでした。
当時はパールホワイトが一番人気でしたので、この色はちょっと....でしたが、腕を磨くには充分でした。エンジン出力はカタログスペックでNET130PSぐらいだったでしょうか。
結局これを20歳から7年ほど所有してました。走行距離は7年で130.000キロ。
足回り中心のライトチューンでしたが、EXマニから出口までオールステンにしたので結構いい音出してました。(車検通りました)。
ターボ車には乗れませんでしたが、結果的に私は良かったと思ってます。
憧れの峠デビュー
当時の住所地は仙台でした。
仙台市の北側に七◯田ダムという地元では超有名な峠があったのですが、毎週そこに通って腕を磨きました。
が、当時はHONDAのVTEC全盛期。日産の130psのCA18(エンジン型式)では所詮手も足も出ません。めちゃくちゃ煽られました....。ターボ勢では同じPS13(RPS13)のK'sとR32スカイライン、マツダではFC3S(RX7)、スバルではインプレッサ・レガシー勢が多くて、とてもターボ無しのNAでは皆様の邪魔にされてしまいます。
しかしながら、ターボ無しのNAであるCA18でクルマの基本である荷重移動やFR特有の挙動をイヤというほど体に染み込ませました。
皆さんがコースインしているPM7:00~翌AM1:00くらいまでは邪魔になって迷惑をかけると思い、一旦家に帰ってから小休憩しガソリンを給油してAM3:00にまた峠に出向きました。
誰も走っていないコースを朝まで走って、とにかくコースを覚えました。
この努力が後々実を結びます。
結果的に上りは到底無理なので、上りは諦めて下りで腕を磨く事に。
イニシャルDの藤原拓海ではないですが下りしかありませんでした。クルマを変えない限り自分にはその選択肢しか残ってません。
峠の下りは慣れないうちは本当に怖いです。クルマはアクセルの踏み具合とは裏腹に、勾配がきつきなればなるほど惰性でどんどん加速し続けます。
気が付くとスピードが乗っているので、普段の上りの感覚よりも早くコーナーが目の前に現れます。
ブレーキを踏んで減速。
フロントに荷重が移動している最中にステアリングを切るので、当然リアがスライドを始めます。これで慣性ドリフトも覚えましたね。
走っているうちに徐々にブレーキも悲鳴を上げていきます。
ブレーキパッドも社外に交換して、耐フェード対策も施し、下りを走り続けました。
で、峠に通うこと2年ほど。
相変わらず、非力なCA18で頑張っているshigeでしたが、仲間も出来てチームを作って8台くらいのメンバを引き連れて峠に通うようになりました。
上りは相変わらずのパス(最後尾を走る)で、勝負は下りで!。
下手くそなターボなんかだと、煽られるくらいにまではなりました。(イニDの拓海くんのように抜くのなんて無理でした....そこまで腕はありません)。
そして、雨の日の下り。
当たり前ですが、雨の日を好んで走る走り屋なんて非常に少なかったのです。
意外と皆さんハイドロを嫌ってのビビり走りです。私はしょっちゅうハイドロと戦ってましたので、それほど雨の恐怖は感じては居ませんでした。
これも、非力なエンジンで如何に早く走れるかを考えた結果、下りでのブレーキングは最小限に抑えて無駄な減速をしない事と、同時にアクセルを踏んでいる時間を如何に長くするか、コーナー進入時のライン取りなどなど、無駄な走りをしない走り方に徹しました。
雨になったら、雨量と路面の濡れ具合を見て、速度をドライ路面よりも若干落とし気味にコントロールして走れば、あとはいつもと同じです。
あとはフロントタイヤと相談しながら走る。恐怖はおのずと解消されていきました。
その結果として.....。
自分が勝手にライバルだと思って頑張ってきたHONDAのVTEC勢に、雨の日の下りで付いて行ける事を峠で立証しました!。何も自慢することではないのですけど。
勝った負けた.....では無いんですけど、自分はそれだけで充分でした。
免許取り立ての頃よりは確実に腕が上がった!....と。
恐らく、同じクルマに乗ってれば勝てたんじゃないかな??
今だから語れる若かりし頃の武勇伝でした。
次回に続きます。